国内外のコマーシャルフォトシーンで活躍する「アセムスタジオ」赤松章

「写真は自分が生きた証。被写体と関わった証」―。国内外のコマーシャルフォトシーンで活躍する「アセムスタジオ」(松山市福音寺町)の赤松章氏。パリ・ダカールラリー、オーストラリアンサファリなど大規模な舞台を駆けながら、雑誌、新聞、ウェブといった媒体で幅広い仕事を手掛ける。物腰の柔らかい様子とは裏腹に、眼には写真に見せられた怪物を潜ませている。(聞き手・伊豆野 眸)

スタジオ事務所で語る。「十代のころ、高度経済成長もあって、写真が世の中に必要とされているのを肌で感じていた」。政治の季節は過ぎ、戦後日本は本格的な「豊かさ」に向けて順風を一身に受けていた。東松照明(一九三〇―二〇一二)、奈良原一高(一九三一―)など、先駆的な写真表現に取り組む作家の息吹を感じながら「損得ではなく面白いな」と感じていた。

松山工業高を卒業後、東京綜合写真専門学校、松山市内のスタジオでの修行を経て一九八二年に「アカマツフォトスタジオ」を創業した。

「(修業時代の)数年間は写真のことしか考えなかった」と振り返る。創業から十二年後に現在の「アセム―」を設立した。「アセム」とは、アイヌ語で光と影を意味すると聞き名付けたという。「社会的な義務というか、フリーと言えば聞こえはいいけど、要は無職。福祉厚生も考えて」と後進の職業安定性を意識した。現在スタッフは四人。写真家(=プレーヤー)と経営者(=マネージャー)の双方にまい進する。

「人との付き合いを大切にしている。クライアントとの打ち合わせを通じてニーズをつかみ、相手のイメージ通りのものを提供することが必要」とのスタンスだ。

社内について。「うちは個々人の自発性を尊重している。自分たちが成長しないとクライアントは認めてくれないし、社会に対して何ができるのかということを考えてほしい」と後輩の躍進に期待を寄せている。

多岐に渡るこれまでの仕事で最も印象に残っているのが、二〇〇四、〇五年にシャープのソーラーパネル「サンビスタ」の広告のために訪れたモンゴルでのこと。趣味で携わっていた現地でのラリー主催スタッフとして得た知識が生きた。遊牧民の生活を追った十一月。撮影翌日からマイナス二十度にまで冷え込む寒波が襲った。命からがら、車のガソリンはカラカラで帰路についた経験は、まさに冒険譚だ。

仕事の魅力について「デザイナーが深く思考した依頼に応えるのが面白い。彼らが表現したいことに奥行きを与えることができれば」と語る。「写真と画像は異なる。ただ写っていることが重要なのではなく、写真でしか表現できない『写真の言葉』が成立しているかが問われている。『写真の神さま』が付いてくれるか、そのためには準備が必要です」と若い世代にエールを送った。

今後は、広告ではない自身の写真を銀塩で撮りたいと意気込んでいる。
(了)

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